中堅SEのひとりごと

30歳を迎える中堅SEが、日々感じたこととかをつぶやいていきます

ノートの取り方を考えてみる

ノートに何を書きますか?

ノート(手帳)やメモの取り方は、人それぞれのやり方があると思います。

学校の授業であれば、教授や先生が板書した内容を写したり、重要そうな単語を書き残しておいたりすると思います。

では、仕事ではどうか。
おそらく、人それぞれのやり方があって、自分に合っている手法を選択しているのだろうと思います。
そこに至るまでは、人や本から学んだ手法を参考にしたり、自分流に経験で改造したりなど様々な経緯があるかと思います。

人それぞれなので、正解はないと思うのですが、ここでは私がこのやり方はNGだろうと思う、ノートの取り方を挙げてみたいと思います。


こんなノートの取り方はダメだ!

すべてをメモしようとする

実際にいます。とにかくすべてをメモする人。

別に悪いわけではないですし、新人の頃や新しい環境の場合はそれでも良いと思います。
でも、徐々に要点を掴んでその状態を脱却しないと、そのままキャリアを重ねていってしまいます。

何点かデメリットを挙げると、

  • 書くことに必死で打ち合わせに参加できていない(完全に議事録担当であれば良いと思いますが)
  • メモをしただけで安心感を得て、内容が頭に入っていない
  • メモを見返すときに「どこかに書いたはず」とノートや手帳から探すのに時間がかかり非効率すぎる

この手の状態に陥っている人は、メモをしておかないと不安な思いに駆られてしまい、傍から見るとどうでもいいことまでメモしている状態です。


謎の単語だけ残るメモ書き

重要なことをメモしているのですが、前後の脈略が無く謎の単語だけ残っているというメモ。

そのときは単語だけで理解できるかもしれませんが、3日後にはその意味すら分からなくなっていることなど経験ないでしょうか?
長ったらしい文章でメモしてはNGですが、その単語が何を意味しているか、後から読み返しても推測できるようでないと、あまり意味がありません。

良くあるケースとしては、パスワードや電話番号をメモしたのは良いが、それが何の番号か書かなかったがだめに、ただの数字の羅列と化しているケース。
もはや、大事な番号かどうかすら分からなくなっていることもあります。


スケジュール帳化したメモ

自身のタスクをメモしたのは良いけど、それが1年後にやることまで書いたりする人も稀にいます。
直近のタスクを書き挙げるのは良いと思いますが、そんな先のことまで書いてどうするのですかね?

まさか、1年後になっても見返す気?
ノートを何冊も持ち歩くつもりなのか・・・。


ノートの取り方を考え直す

上記の例に当てはまる人は、自分のノートの取り方を考え直した方が良いと思います。
それぞれ人によって変え方は違いますが、考え直しかたのコツとして、1ヶ月後にノートを見返すと良いと思います。

その際に、意味が分からないメモがある場合は、メモの取り方を考え直すべきでしょう。
意味のないことや、同じ内容の重複がある場合は、書くべきものと書かないものの取捨選択をすべきでしょう。
特に敢えて「書かない」という行為をしてみることを推奨します。


過去を顧みて今を考えると、徐々に大事な事が書かれたノートに変化していくと思います。

 

私のノート

ちなみに私のノートには、基本的には以下の3点の内容しか書いていません。

これが正解ではないと思いますが参考までに。


決定事項

会議などで決まったことをメモします。
周知の必要があったり、自分が忘れないようにするためです。
なるべく、1行で済ますようにして、経緯などはほとんど書きません。

依頼事項

依頼されたことをメモします。
必ず、依頼内容、期限、依頼者を合わせて書くようにしています。


もう2度と出会えない可能性があるもの

上記以外は、もう2度と出会えない可能性があるものしかノートに書きません。
電子ファイルの資料に書いてある内容などは、それを見れば済む話なのでわざわざ書いていません。

 

 

 

 

デバッガツールを使うことの弊害を考えてみる

デバッガツールは便利

プログラミングをした際に、どんなプログラムであってもテストをしないということはないと思います。

エビデンスを残さない、テスト項目を作成しない、テストケースを作らないということはあっても、最低限の動作確認をしないということはありえないと思います。
(それを"試験"と呼ぶかは別にして)


動作確認中や、テストフェーズ段階で障害が検出報告された後、その原因を調査するためにデバッガは便利で非常に役に立ちます。

※ここでのデバッガとはeclipseなどの統合開発環境を使用して、変数の中身を確認したり、ブレークポイントを設定したりして、バグの原因を探る作業のことのみを指します。
デバッグ作業を行う人のことを指してデバッガと呼ぶこともありますが、ここではあくまで上記のことに限定させてください。


デバッガに頼りすぎたことによる弊害

本番環境で障害が発生した場合、バグの原因を探るのにデバッガを使うわけにはいきません。
発生事象やログファイルから探る必要があります。

これは私感なのですが、どうしても最近のデバッガに頼りすぎている人ほど、ログ出力の勘所が弱い気がします。
たぶん、不具合が発生したときにブレークポイント止めて、その場で状況証拠を増やしていっているからだと思います。

なんでもかんでもデバッガに頼りすぎると、その感覚に慣れ過ぎてしまいます。
本番環境で起きた問題について、状況証拠を増やすことなんて、そう簡単にはできません。

如何にして証拠を残せるようなロジックが書けるかが大事です。


便利なツールがあると、その便利さにどうしても頼ってしまいますが、その反動で自分の感覚が腐らないようにも気を付けなくてはなりません。

 

運用者たちの隠れざる苦労

運用者の存在価値

大規模でミッションクリティカルなシステムになると、「24時間監視」という名のもとに、いわゆる「運用者」と呼ばれる人たちが存在する。

この人たちは、SE(システムエンジニア)であるのは間違いないのだが、とりわけSEの中でもITスキルが求められる場面が少なく、なかなかスキルが身に付きにくい現場で働いています。

勘違いしないでいただきたいのは、運用者は能力が低いと言いたいわけではないです。

マニュアルが整備されていて、日々のオペレーションがある程度明確になっている場合、初級SEにも務まってしまいます。
そのため派遣する企業からすると、能力低い人でも送り込むだけでお金になるし、使い勝手が悪い人を配置するにはもってこいのポジションであったりします。

そんな事情もあると、どうしても能力がそこまで高くない人が相対的に多くなってしまっているポジションといった印象になってしまいます。

そのため、一部のエンジニアにはいわゆる運用者を見下している人すらいます。

私は、そういったエンジニアこそレベルが低いと感じています。
むしろ運用者のことを理解できないエンジニアなんて不要だと思います。

 

エンジニアが知らない運用者の苦労

エンジニアやプログラマの中には、運用者の存在を認識していない人も多くいると思います。

大規模プロジェクトになると、顔と名前をギリギリ知っているレベルなんてこともあるでしょう。
場合によっては、名前すら知らないこともあります。
そんな名前も知らない人が、自分が作ったプログラムの面倒を見てくれているのです。


「動けば良い」だけのシステムを作っていると、割を食うのは運用者です。

日々の業務が平常に終わるような運用、素早く障害を検知する運用。
これらもちゃんと考慮すべきだと思います。


簡単な仕事と言うなかれ。
システムによっては「仕様」という名のバグに対して、お客様に説明をしてくれているのです。

エンジニアやプログラマは、運用者に対してもう少し敬意を示すべきだと思うのです。

 

 

健康体であり続けるために意識すべきこと

IT業界の人間は不健康

IT業界に努めているひとほど健康に気を使う必要があると思います。

どうしてもパソコンと向き合う生活で、長時間椅子に座りっぱなしになってしまいます。
あるいは、残業や夜間作業などにより、不規則な生活を送りがちです。

日々の生活の中でちょっとした変化を加えることで、健康体であり続けるように気を付けるべきだと思います。


健康であり続けるために・・・


健康であり続けることは非常に大切です。
特に健康診断で引っかかる人、どれかひとつでも良いのでやってみてください。


必ず朝食を食べる

朝食を抜かす人、コーヒー1杯で済ます人は多いです。

 

階段を1段飛ばしで昇る

本来は何か体を動かすことをするのが良いのですが、なかなか時間を確保できない人もいると思います。
そこで、エレベーターでなく階段を使い、なおかつ1段飛ばしで昇ることをおススメします。

 

ストレッチをする

簡単でも良いので、ストレッチをすることはかなり効果的です。
椅子の上で出来るストレッチでも良いでしょう。

 

歯磨きをする

昼食後に歯磨きをすることをおススメします。
歯磨きには、虫歯の予防の意味もありますが、間食を控える効果も期待できます。
間食がやめられない人は試してみてください。

 

 

良いストレス解消方法と巡り合うことが長く仕事を続ける秘訣

ストレスの原因

人間社会で生きるにおいて、ストレスを感じないことなど不可能です。
ストレスの原因の多くは、人付き合いだと思います。

1人で仕事をしない以上、どうやっても避けて通ることはできない道です。

 

ストレスによる病気

ストレスが原因で、胃や腸など体を壊す人。
うつ病など精神的に病んでしまう人もいます。

病気により、更なるストレスを抱えることもあります。

 

ストレス解消方法と出会うこと

もはやストレスが避けて通れない道ならば、それを如何にして解消するかが大切になってきます。
ストレス解消において、私が感じている大切なことを3つ挙げます。


安住の地をつくる

会社が原因でストレスが溜まるのであれば、家族や恋人、友人など会社と関係のない人間関係を大切にすべきです。
彼らと一緒に居られることを「安住の地」として過ごすことができれば理想的です。

家族や友人関係すら煩わしい人は、ファミレス、ゲームセンター、映画館、どこでも良いので、自分の家と会社以外に、自分の「安住の地」をつくることをおススメします。

 

時間を忘れて没頭できることを見つける

敢えて「趣味」と書かなかったのは、別にやらなくても良いからです。
趣味は「好んで習慣的に繰り返しおこなう行為、事柄やその対象のこと。」という意味なので、行わなくてはならなくなってしまいます。

あくまで没頭できることを「見つける」だけで良いのです。
それは趣味と言えるものでなくても良いです。

例えば
「指のささくれを剥がしていたら夢中になっていた」とか、
「エロ動画を探してたら性欲そっちのけで時間が経過してた」とか。

ストレスを忘れられる瞬間ができることは非常に大切です。


自分の好みの味覚を知る

人間の欲の中でも食欲はストレス解消において大切だと思います。

料理でなくても、お菓子や飲み物でもなんでも良いです。
自分の好みの味覚を知ることは、大きな価値をもたらしてくれます。

ちなみに、私は酒が苦手です。その代りではないですが、ジンジャエールが大好きです。
自分へのご褒美にジンジャエールを飲むことで、ストレス解消のひとつとしています。

 

正論を言う人はなぜ嫌われるのか?

正論とは?

正論とは「道理にかなった正しい意見や議論」という意味であります。

社会には、いわゆる正論を言う人がいます。
正しいことを言っているので決して間違っていないのですが、正論ばかりでは会社も仕事も組織も成り立ちません。

やがて正論を言う人は、嫌われたり、孤立していってしまいます。

おそらく自覚がありつつも言わずにはいられない人も多いと思います。
「正しいことを言って何が悪い」という心境なのでしょう。


大事なのは物事のバランスだとは思うのですが、なかなか上手く行きません。
仮に自分がそうでなかったとしても、組織には必ずこのような人はいます。

では、なぜ正論を言う人は嫌われるのか?
ちょっと考えてみました。

 

正論を言う人が嫌われる理由


単純に指摘されて腹が立つ

自分の行為や言動に対して正論で返された場合、良い気分がしないということはあると思います。
「こっちの立場も分かってくれよ!」と思うようなケースの場合、尚更でしょう。


正論は上から目線になりがち

正論を言うということは、自分が正しいという思いがあるから言うのだと思います。
その場合、どうしても「正す」という意味で上から目線になりがちです。


自分が組織で正論を言えないから

言われた側が普段から発言力が無い人や、八方美人タイプの人は、普段から思っていることが言えない人であることが多いです。
その場合、正論を言える人への嫉妬や憧れから嫌悪感を抱かれてしまいます。
(心理学で言う所の"シャドウ"ってやつですね)

 

嫌われないように正論を言う

100%嫌われない方法なんてありません。
ファンがいればアンチがいるように無理でしょう。

なるべく相手の思いや考えも聞きつつ、自分の意見を述べるのが1番だと思います。

ひとつ気を付けるべきは、正論を言う人は正論で返されたときに反発しがちです。
そのときは、冷静になって自分の否を棚に上げずに考えるべきでしょう。

 

ほどよい責任感

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責任感に潰される人

責任感というのは難しいものであると感じます。
常にどんな作業であっても責任感を持って取り組むべきですが、その反面、責任感を強く持ちすぎてプレッシャーに耐えきれなくなったり、失敗した際に精神的に壊れてしまったり。

そのあたりの自分の内面を上手くコントロールできない人がうつ病に陥っていくのを私は何人も見てきました。

この業界に限ったことではなく、社会全体に言えることだと思いますが、「ほどよい責任感」をもつことが大切だと私は思います。


精神的に潰れないようにするためには?

自分に依頼された作業は、必ず最後まで責任感を持って取り組むべきです。
それは、作業が完了するまでか、誰かに引き継ぐまでか、完了といえるところまでは、途中で投げ出すことなくやり遂げるべきでしょう。

当事者意識が大切という考えにも当てはまるかと思います。

他方その反面で、心の奥底にその責任感から解放された気持ちを持つべきだとも思います。
失敗は許されなかったとしても、リカバリする術があることを精神安定剤にするのも良いし、困難があったときに縋れる人がいるということを支えにするのも良いでしょう。

「失敗してもなんとかなる」くらいの楽観視した気持ちも必要です。

要は、ほどよく責任感を感じることが大切だと思うというわけです。


天才にだって失敗もある

全盛期のイチローの打率が約4割。
全盛期の武豊の勝率が約4割。

つまり6割は失敗しているのです。

やっていることが違うのだから単純に比較なんてできません。

言いたいことは、天才ですら100%成功はあり得ないのだから、我々凡人なんて失敗はつきもので良いのです。
失敗したときは、それくらい開き直ったって良いでしょう。

ただし、イチロー武豊は決して4割を目指しているわけではないです。
常に10割を目指した経過があっての結果です。


それを頭に入れたうえで、ほどよい責任感を考えるのが良いと思います。